僕は不器用である。本当に不器用である。
機械の類は言わずもがな、特に挨拶なんぞは大の苦手である。
余計なことは結構ベラベラしゃべるくせに、肝心のこととなるとからっきしダメである。
周囲は「芸術家なんて喋れなくてもいいんですよ〜」とか「作品が語っているじゃないですか〜」などと誉められているのかなんだかわからないような言葉でなぐさめてくれるのだが、本人にすれば言外に「舌禍は多いのにね~」と言われているようでいささか面映ゆいのである。
僕は感動屋である。それもかなりの感動屋である。
僅かなことにでも、とても感じ入ってしまう性質(たち)である。
音楽、風景、美味しいもの・・あぁ、もうありとあらゆるものに心を揺さぶられてしまう。
だからそのツボに嵌(はま)ろうものなら大変で、数日間はその余韻の中に自分を浮かべて陶酔してしまっているのである。
実は昨日来、僕はそんな状態にある。
僕は、財団法人佐藤国際文化育英財団というところで僭越にも奨学生の選考委員を拝命しているのだが、昨日その受賞者内覧会に出席した。
凌ぎを削って生み出された渾身の作品の横に並んで一生懸命に説明の言葉を探している、若き創造者たちを見ていると、それだけでもう感無量である。半世紀以上の年齢差はあれど今もなお「美」を追い求める求道者としての志(こころざし)は同じなのだ。
そんな僕が彼らに挨拶をしなくてはならなくなった。
あれも伝えよう!これも言おう!すっかり陶酔状態の僕は、感動で胸一杯にしていざマイクの前に・・・・・・・・・・・・・
ん?頭の中が真っ白・・・・・。
拍手で我に返ったが、何をしゃべったか全く記憶がない。その時初めて、胸ポケットに用意した原稿をはたと思い出した。
あぁ、時すでに遅し・・・。
で、考えた末にブログできちんとエールを贈ろうと、不器用ながらも、やおらパソコンの前に座っているという次第なのである。
僕はあらゆる選択肢の中から「美」を求める道を選び取った彼らに、どんな逆境が訪れようとも、どんな生みの苦しみにさいなまれようとも背を向けないでほしいと願う。
「美」を追求するということは、世の中のどんな状況にも惑わされずに、ひたすら自らに問い続け、自らを磨き、自らを表現する言葉を見つけることだと思うのだ。
ゴーギャンの大作「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか」には彼自身の哲学が滔々と流れ、それ自身が原動力となって時間を越え、時空を越えて観る者の心をとらえて離さない。皮肉にもゴーギャンが背を向けた19世紀にはじまった物質文明が、終焉を迎えようとしている現在(いま)だからこそ、ただひたすらに、ただひたむきに「美」を求め、考える人間が必要とされているような気がする。
あくなき忍耐と「美」へのゆるぎない意志。それを貫いた者だけに与えられる至福の時。
「私はお前であり、お前は私なのだ」―僕と彫刻との関係がそうであるように、彼らにもそういう出会いが必ず訪れると心から信じて、僕の贈る言葉としたい。
しまった〜〜!!彼らに僕のブログのURLを伝え忘れた〜

